札幌すすきのSMクラブ【罪と罰】

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花魁淵

風俗史の大好きな私は、あれこれと札幌の風俗に関する資料などを探している。

今回の「花魁淵」の話をしようと思う。

薄野遊郭の遊女が苦難に耐えかねて身を投げたという話や、川を使って荷物を運ぶ人夫の親方が、人夫たちに「女でも買って来い」と小遣いを渡した「花魁扶持」だとする説など諸説あって、史実は定かでは無いとされている。

そんな中でも、ちょっと具体的な記述を見つけたのでご紹介しよう。

札幌を代表する豊平川が札幌の街に流れ込む少し手前、南区の藻南公園の辺りにある「おいらん(花魁)淵」にまつわる伝説である。

明治後期のこと、南二条西3丁目に、ある洋物の呉服店があった。店主の名はは若月為吉と言う。

洋物布地や既製服などを仕入れるために上京していた為吉は、吉原遊びを覚えて、とうとう花魁を身請けして札幌へ連れてきてしまった。中肉中背のあか抜けた美人だったそうだ。

ところが彼女の元には密かに東京の男性から熱烈な恋文が届いていて、札幌で暮らして3ヶ月が経った頃、東京へ帰ると言いだした。

激昂した為吉は、座敷牢を作って彼女を監禁し、毎日のように陵辱した。

彼女の泣き叫ぶ声は近所の人の耳にまで届いていたというから、怒りのあまり拷問的な行為だったのだろう。

しかしある夜、彼女はとうとう牢を抜け出すことに成功する。

彼女の高下駄と蛇の目傘がなくなっており、店の若者達が市内を探し回ったが、結局見つけることはできなかった。

豊平川上流の淵で女性の溺死体を発見されたのは、それから2,3日後のことである。高下駄と蛇の目傘も見つかり、死体の身元は確認された。

これが明治28年の秋のことで、この事件の後、人々はこの場所を「花魁淵」と呼ぶようになったのだという。

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